おぼろなる宵のカモメタンク
よいよいよいっと
「志太の石碑・石仏めぐり」更新 2016年12月12日分
3ヶ月も更新をさぼってしまった。今月から本気出す。ということで、藤枝市高柳の川中島八兵衛3本立てです。
- 2016年12月12日
- 公開:川中島八兵衛「高柳・大渕の紀伊國川中嶋小長谷八兵衛碑」(藤枝市高柳)
- 公開:川中島八兵衛「高柳・仁平の西国川中島八兵衛」(藤枝市高柳)
- 公開:川中島八兵衛「高柳・巾溝の西国川中島八兵衛」(藤枝市高柳)
あと、Picasa終了に伴うリンク切れをじわじわと直しているところ。なにしろ写真UPしなおさなきゃならないので全部直るまでにはまだしばらくかかる予定だけど、じわじわとがんばるぞー。
高洲地区の川中島八兵衛メモ
藤枝市高柳、巾溝組の「西国川中島八兵衛」は、高洲小学校南側の畑脇に移されていた。増田文具店の南側。旧地は現在地より270mほど北、杉本工業西側の用水(七ツ溝川)沿い。
同じく藤枝市高柳、仁平組の「西国川中島八兵衛」は、平成11年に再建された新しいもの。各種資料に記録された旧碑は現存しないようだ。そばにあったはずの秋葉山常夜灯もなくなっている。気がかりである。
高洲公民館の図書室に、高洲地区郷土の歴史愛好会*1が作成した資料が収められている。そのうち、『郷土の歴史愛好会(1)』と『ふるさとの歴史資料2』に川中島八兵衛に関する資料あり。特に前者収録の「川中島八兵衛の研究」は高洲地区内で祀られる八兵衛の記録があり必読。
『ふるさとの歴史資料2』「川中島の八兵衛さんについて」内に、「63.6.17」と添え書きされた新聞記事のコピーあり。大井川町史編纂をきっかけに八兵衛の出身地探しが行われたその結果を報じるもの。島田市博物館で展示されていた記事のコピーと同じものであり、川村辰巳が見たという「八兵衛さんに関した記事」と思われる*2。島田市博物館では静岡新聞の記事としていたが、河村は読売新聞としている。とりあえず県立中央図書館まで確認しに行ってみよう。