歴史民俗系

曲金の狐ヶ崎の曲金観音堂

静岡市駿河区曲金1丁目の、旧東海道と曲金小鹿線の追分に、観音様を祀るお堂があるんですよ。 静鉄春日町駅から国1を渡り、JR線路をくぐって、曲金1丁目に出たところ。 パン屋の豊月堂の前の通り。

山中共古『土俗談語』から川中島八兵衛

山中共古『土俗談語』を読みました。今年のはじめくらいに……。年の暮れも見えてきた今、ようやく感想文を書こうというわけです。 山中共古『土俗談語』1899年(明治32年)、早稲田大学図書館蔵 こちら筆書き崩し字。読めないことはないがむつかしい。という…

笹間神楽と日本家屋の陶芸展 @ 島田市博物館

島田市博物館分館で「国際陶芸フェスティバル展」と笹間神楽を拝見してまいりました。もう展示終わってしまったけど、とてもいい雰囲気だったので、次回があるといいなと思いつつ感想文。 島田市山間部にある笹間にて開催された「ささま国際陶芸祭」。これに…

牛の思い出と静岡市の130年と

静岡市文化財資料館企画展「カメラが写した静岡市130年 ~明治から令和へ~」の感想(後半ちょっと)と、うちの家族の思い出話(大半)の二本立てでお送りします。 50年近く前、昭和30年代半ばから40年代半ばにかけてのこと。うちの家族が通っていた静岡市の…

日本全土を旅する謎の巡礼「忘れられた大巡礼 ~六十六部日本廻国~」

「忘れられた大巡礼〜六十六部日本廻国〜」聴講して参りました。面白かった #焼津市歴史民俗資料館 pic.twitter.com/xkXoEbe9OW— frogcroaks (@frogcroaks_jp) November 9, 2019 2019年11月9日に焼津市文化会館において開催された小嶋博巳先生の講演「忘れら…

江南信國が撮影した静岡の茶畑はどこにあったのか

たぶん静岡市の谷津山の南側斜面だろうと思うんですよ。今は宅地化されてる春日町3丁目10~19あたりだったのではないかと。 えーと、これら3枚の写真の話です。 Enami - Tea Production | Flicker 幕末生まれの写真家、江南信國(1859年~1929年)による、静…

四郎兵衛地蔵メモ

藤枝市稲川の瀬戸川沿い、旧国1(現県道381)瀬戸川橋のたもとで川沿いの道路を上流側に少し進んだところに、大量の石仏をおさめた小さなお堂があります。おさめられているのは、地蔵や馬頭観音、四角い石塔、五輪塔のようなもの、そして川中島八兵衛など。 …

山八つ谷九つ身は一つ我が行く末は柊の里

「山が八つ、谷が九つ、身は一つ、我が行く末は柊の里」 川中島八兵衛御詠歌二番の歌詞であり、お札にも書かれるこの文句。八兵衛の御利益のあらたかさを讃えるものである御詠歌のなかで、二番の歌詞だけが異色というか、どういう意味があるのかはっきりしま…

川中島八兵衛参考文献リスト(「志太の石碑・石仏めぐり」更新2019年9月26日分)

川中島八兵衛_資料一覧 - Google スプレッドシート (旧版)川中島八兵衛参考文献リスト:志太の石碑・石仏めぐり 参考文献リストというか、川中島八兵衛に関して一文字でもなんか書いてあったらとにかくメモっておくリストを更新しました。ついでに今後の利…

天皇神社と御所松

ついこのあいだ天皇陛下が御即位されたわけですが、そういえば近所に天皇にまつわるスポットがあったなということで、行ってきたという日記です。

志太平野の戦と山城のこと

8日の土曜日のことなんだけど、焼津市歴史民俗資料館の公開講座「志太平野の戦と山城」を聴きに行ってきたよー。講師は焼津市史編集員をつとめられた河合修先生、小川城の調査などに関わられた方だ。今回の講座の内容は、駿河国における室町時代から戦国時代…

神社は意外と引っ越してるし住んでる神様も変わってる

地域によってだいぶ差があるだろうなーと思うので静岡県中部限定の話として聞いてほしいんだけど、神社って昔から今の場所にあったとはかぎらないし、名前が変えられてたりもするし、祀っている神様すらも昔とは違うってこともわりとありがちなんだよ。

小石川の桜並木の花の下

焼津駅の南側を小石川って川が流れているんだけど、そこの桜並木の話をするよ。 小石川は現在は大井川用水の一部となっており、藤枝市末広の柳久保頭首工で栃山川から分かれ、東海道本線におおむね沿って東進し、焼津駅南で焼津港へと注ぎ込む。長年、田畑に…

非常板って知ってる?

非常板(ひじょうばん)とは、金属板で作った簡易半鐘のようなもので、災害や事件・事故が発生したときに叩いて鳴らすもの。ご近所への注意喚起に使うのだ。

島田市博物館の刀剣展と赤羽刀

この前、島田市博物館で「音にきこゆる~島田の刀鍛冶と天下三名槍」展を見てきたよー。天下三名槍の展示が始まる前だったので、そんなに混んでなかった。なので、細工の細やかさとか、ゆっくりじっくり見られてよかったなー。 博物館にはボランティアの方や…

「志太の石碑・石仏めぐり」更新 2017年1月31日分

花粉飛び始めちゃったよね……そんな憂鬱な1月の終わりにお送りする藤枝市内瀬戸の川中島八兵衛さん2件。

「志太の石碑・石仏めぐり」更新 2016年12月12日分

3ヶ月も更新をさぼってしまった。今月から本気出す。ということで、藤枝市高柳の川中島八兵衛3本立てです。 2016年12月12日 公開:川中島八兵衛「高柳・大渕の紀伊國川中嶋小長谷八兵衛碑」(藤枝市高柳) 公開:川中島八兵衛「高柳・仁平の西国川中島八兵衛…

高洲地区の川中島八兵衛メモ

藤枝市高柳、巾溝組の「西国川中島八兵衛」は、高洲小学校南側の畑脇に移されていた。増田文具店の南側。旧地は現在地より270mほど北、杉本工業西側の用水(七ツ溝川)沿い。 同じく藤枝市高柳、仁平組の「西国川中島八兵衛」は、平成11年に再建された新しい…

本中根の八兵衛碑は川中島八兵衛の埋葬墓ではなさそう

『大井川町史』下巻によれば、川中島八兵衛が埋葬された墓は、焼津市本中根にあった古い八兵衛碑だったと推定されるという。正体不明の謎の人物とされている川中島八兵衛の、その遺体が埋葬された墓が見つかったとなれば、これはもう大変なことだ。ところが…

三輪の石畳道(追記有り)

取り急ぎメモとして、岡部街道(現県道213号高草街道)開通以前に高草山南麓を東西につないでいたとおぼしき「三輪の石畳道」について。あとで加筆修正予定、地図とか画像も追加するかもー。 * 2016-09-23 昼 追記「東海道・石畳道分岐点の神神社道標」「石…

「志太の石碑・石仏めぐり」更新 2016年8月分

なかば川中島八兵衛紹介サイトと化している「志太の石碑・石仏めぐり」ですが、今月も八兵衛さん推しです。川中島八兵衛御詠歌の写本をゲットしましたので、ご紹介していますよ。ぜひごらんください。 なお、今月更新分からページをHTML5+CSS3で作成していま…

建穂寺のお地蔵さまに会ってきた

8月21日に静岡市葵区建穂(たきょう)の建穂寺(たきょうじ)【地図】でお地蔵さんのお祭があるということで、行ってきました。 建穂寺のお地蔵さんは現在、クラウドファンディングで修復費を募集中で、私もわずかばかりの支援をさせていただきました。で、…

土用の丑の鰻と牛と胡瓜など

本日は土用の丑の日だったのだそうだが、藤枝の高洲だったか大洲だったか、ともかく藤枝市南部では、土用の丑の日に牛を食べたという話を前になんかで見た。なんだったっけかなー、『大洲村誌』か『高洲村政誌』のどっちかだった気がするんだけど。ともかく…

維新前の石部の神々、天白社と木魂社と白髭神社

静岡市駿河区石部に鎮座する石部神社は、明治時代以前には天伯社と呼ばれていた。また、現在相殿になっている白髭神社や山神社は以前はそれぞれ別所に祀られていた。明治維新以前、石部神社と改称される前には、これらの社に祀られる神はどのような存在と考…

「志太の石碑・石仏めぐり」更新 2016年7月分

だいたい月に1回の頻度で更新している「志太の石碑・石仏めぐり」ですが、今月は川中島八兵衛さん拡充月間として8ページを3回に渡って更新しました。うち2件は文章を改訂しただけなのであまり新鮮味はないですが、たぶん前よりわかりやすくなってると思うの…

焼津市のお盆は毎晩たいまつを焚くらしい

お盆に火を焚く風習といえば、13日に迎え火を焚いて、15日か16日に送り火を焚くのが一般的だろう。しかし、私が見たところ、焼津市内では13日から15日にかけて、毎晩、焚いている家があった。いくつかの家でそうしているのを見かけたので、個人的な行動では…

愛岩山大権現は愛宕権現か?

静岡県焼津市北新田の浜街道(県道31号)沿いに秋葉灯籠が建っていて(ストビュー)、そのわきに手水鉢と小さな石祠と庚申塔がある。この石祠の表に「愛宕山大権現」と彫られている……と思ってよく見たら「愛岩山大権現」だった。宕じゃなくて岩だったのだ。 …

石部神社と力石

石部神社(せきべじんじゃ)は、静岡市駿河区石部に鎮座する神社。旧社格は村社。 境内に設置された説明板によると、祭神は天照大神、相殿に白髭神社(猿田彦命)と山神社(大山祇命)、境内社に津島神社(素盞嗚命)。天明元年(1781年)に再建されたことは…

校庭を埋め尽くした牛の思い出

うちの家族に静岡県静岡市の千代田小学校に通っていた者がいるのだが、かの家族がいうには、校庭に大量の牛がやってきて、それを写生するという行事があったそうな。 年齢的に昭和30年代半ばから昭和40年代半ばにかけてのことと推定される。校庭を埋め尽くす…