山中共古『土俗談語』から川中島八兵衛
山中共古『土俗談語』を読みました。今年のはじめくらいに……。年の暮れも見えてきた今、ようやく感想文を書こうというわけです。
山中共古『土俗談語』1899年(明治32年)、早稲田大学図書館蔵
こちら筆書き崩し字。読めないことはないがむつかしい。というわけで、図書館で青裳堂書店『山中共古全集』2巻を借りて活字化されたものも併せて読みました。
著者の山中共古は、明治大正期のキリスト教伝道者で、民俗学の先駆者としても知られる。徳川慶喜とともに駿府に移住した幕臣の一人であり、静岡とも所縁が深い。
『土俗談語』は、その著者が見聞きした民俗覚書とでもいうべき書物で、その当時の各地の風俗、神仏や祭事、また子守歌や方言なども収録されている。要所要所に挿絵も挟まれており、読者の理解を助け、目を楽しませる。
なにしろ楽しい本でした。基本、メモのような短い簡単な文章がずらっと並ぶのですが、気楽に読めて観光カタログ眺めるような楽しさがある。書かれたものについて、これは今、現地に残っているのかしらという興味もわきます。
で、このなかに「川中島八兵衛」に触れた箇所があります。早稲田大学図書館蔵版の場合、8コマ目。全集では12ページ。内容を以下に引用します。
続きを読む日本全土を旅する謎の巡礼「忘れられた大巡礼 ~六十六部日本廻国~」
「忘れられた大巡礼〜六十六部日本廻国〜」聴講して参りました。面白かった #焼津市歴史民俗資料館 pic.twitter.com/xkXoEbe9OW
— frogcroaks (@frogcroaks_jp) November 9, 2019
2019年11月9日に焼津市文化会館において開催された小嶋博巳先生の講演「忘れられた大巡礼 ~六十六部日本廻国~」を聴講してきました。めっちゃ面白くあっという間の2時間弱でした。このような機会を得られるとは本当にありがたいことです。小嶋先生と関係された皆様に心から感謝いたします。
個人的には、六部説のある川中島八兵衛と絡めて、江戸時代の六十六部とは人々にとってどんな存在だったのかが最も知りたかった点でした。「忘れられた」と題されるとおり不明なことも多いようです。しかし、全国的にもお接待の記録が残り、流行神として祀られた例もありと、やはり六十六部というものは一定の尊敬を集める存在ではあったようです。
あと、江戸時代以降、かなりの数の六十六部が存在したという話。こう、あっちこっちに六部塚やら流れの行者の墓やらあるわけですが、通行が制限されていた江戸時代にそんな大量の巡礼者・行者が存在したのか?という疑問がありました。存在したんですねー。こっちから六十六部の旅に出た人だっているし、意外に人の行き来があったんですね。
焼津市歴史民俗資料館で開催されている企画展「巡礼の旅 ~廻国の行者と信仰~」も拝見。メインは本年度市文化財に指定された下小杉村の六十六部廻国関係資料。個人的目玉としては、小柳津に流れ着いた六部の三郎兵衛さんの遺した鉦鼓、チャンチャン婆さんの鉦!本物だ!すごーい。
まだ頭がぱんぱん状態で消化できておりませんがとりあえず以下メモ。内容は正確ではない可能性があります。
続きを読む江南信國が撮影した静岡の茶畑はどこにあったのか
たぶん静岡市の谷津山の南側斜面だろうと思うんですよ。今は宅地化されてる春日町3丁目10~19あたりだったのではないかと。
えーと、これら3枚の写真の話です。
Enami - Tea Production | Flicker
幕末生まれの写真家、江南信國(1859年~1929年)による、静岡で茶が生産されるところを撮影した19枚の写真。数年前に「20世紀初頭に日本の茶摘みの様子を撮影した貴重なカラー写真いろいろ - DNA」で見て知った。
その中から、山の上の茶畑で茶摘み娘を撮影した3枚。ここに写る風景、この山の形、なんか見たおぼえがあるなと、どこなのかなと気になり続けて幾星霜。やっと確認する気を起こしたのだった。
続きを読む四郎兵衛地蔵メモ
藤枝市稲川の瀬戸川沿い、旧国1(現県道381)瀬戸川橋のたもとで川沿いの道路を上流側に少し進んだところに、大量の石仏をおさめた小さなお堂があります。おさめられているのは、地蔵や馬頭観音、四角い石塔、五輪塔のようなもの、そして川中島八兵衛など。
たぶん、元はあちこちに点在していた石仏を、河川や道路の整備の際にここに集めたのかなーという雰囲気。前に見に行ったときにはお供えの花も美しく、よくお世話されている様子がうかがえました。
谷澤靖策*1によれば、このお地蔵さんは「四郎兵衛地蔵」というそうな。てっきり四郎兵衛さんを祀った地蔵があるのかと思ったのですが、現地を見るかぎりではどれがそれかわからない。それと、四郎兵衛さんとはどなたでしょう。
旧地形図を見ると、かつてこのあたりに「四郎兵衛」という小地名があったことがわかります*2。ということは、四郎兵衛地蔵とは、四郎兵衛地区で祀っている地蔵ということ?四郎兵衛さんを祀っているわけではないのでしょうか?
地名になっているということは、四郎兵衛さんはこのあたりを開発なさった方っぽいですが、もしかしたらなんらかの伝説があったりするのかもしれない。今度図書館行った時にもうちょい調べてみましょう。
*1:谷澤靖策『田中城の町 西益津史跡巡り ―過去・現在・未来―』(谷澤靖策スケッチ集)2019年、p.17