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三輪の石畳道(追記有り)

道路 藤枝市 旧岡部町 歴史民俗系

取り急ぎメモとして、岡部街道(現県道213号高草街道)開通以前に高草山南麓を東西につないでいたとおぼしき「三輪の石畳道」について。あとで加筆修正予定、地図とか画像も追加するかもー。

* 2016-09-23 昼 追記「東海道・石畳道分岐点の神神社道標」「石畳道の今とこしかた」

かつて、現藤枝市横内で旧東海道を東へ分岐し、同市岡部町三輪の神神社(みわじんじゃ)へと至る石畳敷きの道があったという。

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三輪の天神社前の石畳道

旧東海道藤枝市横内地内では県道81号になっている。石畳道の分岐点は横内531の北西角。ここから敷地の北側を通って県道381号(現東海道)まで続く小道が石畳道の残存部らしい。昭和54年ごろにはこの分岐点に「延喜式内正二位神々社従是里程」と刻んだ高さ2mほどの道標があったというが、現存しないもよう。*1

道は白髭神社の南側を通り、横内と岡部町三輪の境にある天神社の南方を通過したところで北と東へ分岐する*2。分岐を北へ向かうと神神社前に至る。この区間の道は区画整理等のために完全に消滅した。ただ、現在、天神社北側の道路がごくわずかな区間だけ石畳舗装になっているのは、かつての石畳道に由来するものなのではなかろうか。天神社境内におかべプロジェクト未来が設置した説明看板にも石畳道がちょろっと登場している。

石畳が敷かれていたのは横内の白髭神社から三輪のあいだで、地元三輪で産出する三輪石を短冊形に切ったものが使われていたという。道の交通量は多かったようで、石畳は大八車の轍跡が刻まれてくぼんでいたそうだ。岡部街道*3が大正5年に開通する前は、この石畳道が高草山南麓を東西につないでいたのだろう。*4

なお、天神社南方分岐点で石畳道から分かれて東へ進むと、吐呂川を渡って見田塚(犬頭塚とも、現焼津病院付近)の南側を通り、現焼津市策牛の智勝神社前に出た。この先の詳細な経路は不明だが、坂本の宇峠や浜当目の青木森*5付近を通って浜当目の海岸まで到る道があったらしい。浜当目や石脇の人々はこの道をションバミチ(塩売道)と呼んでいたそうで、かつて浜当目で盛んだった製塩業の人が塩を売るために通ったのだという。*6

東海道・石畳道分岐点の神神社道標

私は道標所在地を訪問したことはなく、Googleマップストリートビューでしか確認していない。石畳道残存部は道幅が狭いためかストリートビューでは撮影されておらず、道の中ほどの様子が確認できない。なので、この確認できない区間に道標が移設されている可能性は考えられる。かなり低そうな可能性だが……。

もしかして神神社境内に移されたりしてないかなーと思って確認してみたが、それらしきものは見つからなかった。目的地に道標を移設するのは変な気もするが、焼津の海蔵寺でそのような例を見たのでありえるかなーと思ったのだ。他、移設の可能性がありそうな場所は白髭神社くらいか。天神社にはなかった。

こういうものがあったよと言われるとつい探したくなってしまう性分なのだが、道自体はすでに消滅しているわけだし、普通に考えれば廃棄されたんだろうなーとは思う。とはいえ、後述する理由のためできれば現物を確認したいのだ。引き続き捜索したい。

石畳道の今とこしかた

区画整理等で様変わりしたとはいえ、横内から神神社へ到達する道は当然今でもあるわけなのだが、かつての石畳道にできるだけ沿って進むとしたらどの道を選ぶべきか。それはたぶん、横内の白髭神社の南側を通り、住友林業東海クレストに突き当たって北東へ折れ、吐呂川を渡って三輪川沿いに県道213号に至る道だろう。この道中、現在は向原団地南端あたりに三輪川を渡る橋が架かっているが、かつてもこの付近で川を渡って東にある神神社へと向かったらしい。

ところで、ここでは便宜上石畳道と呼んでいるものの、これがこの道の正式名称というわけではない。天神社の看板に「旧石畳道」とあるので地元では石畳道と呼んでいたのではないかと考えこの名を採用したのだが、『静岡県歴史の道 東海道』では「三輪道」としている。

石畳道はいつ誰によって整備されたのだろうか。白髭神社・神神社間の距離は1kmほどもあり、この間すべてが石畳敷きだったのだとしたら、その建設工事は大規模といっていいものだっただろう。今のところこの工事に関する記録などは発見できていないが、なんかしら残っていそうなものだ。石畳が整備された理由なども知りたいところである。私の考えとしては、式内社である神神社への参道として整備されたのではないかなーと思ったのだが。

もし本当に石畳道が神神社参道だったのだとしたら、東海道・石畳道分岐点にあった神神社への道標が史料として重要だったのではないか。道標の建立年代や建立者がわかればなー。どっかに写真か拓本が残ってないかな。とはいえ私はまず現地に道標が残っていないか確認するのが先ではあるが、うちから遠いので当分先になりそう。誰か見てきてください。

なお、石畳がいつごろまで残っていたのかもはっきりしていない。推測するに、昭和30年代の区画整理時に失われたのではないか。『高草山麓のむかし話』の著者である塩沢藤雄が石畳道を自転車で通ったと記述しているので、消滅したのが太平洋戦争よりはるか昔ということはないはずだ。また、昭和21年に撮影された空中写真に写る道の線形は、戦前の地図と比べて大きな変化はないように見える。残念ながらこの写真からは石畳の有無までは判明しないが……。

そういえば、石畳道の写真なども確認できていない。資料にその名が残っているくらいなのだから、地域の人々にとっては思い出に残る印象深い道だったことは確かだろう。工事記録などよりも写真や絵図が残っている可能性のほうがはるかに高そうだ。こっちも引き続き探すこととしよう。

*1:静岡県教育委員会文化課編『静岡県歴史の道 東海道』1994年(昭和54年に発行されたものの復刻改訂版)

*2:道路の経路については大日本帝国陸地測量部明治22年測量2万正式図「宇津谷」・「藤枝町」など参照のこと。こっちの五万分一地形図でもOK。

*3:高草街道とも、現県道213号。

*4:塩沢藤雄『高草山麓のむかし話』第四話、1985年

*5:青木森は現サッポロビール静岡工場のビオトープがあるあたりにあった。敷地南側の道路から見える位置に跡地の碑あり。

*6:塩沢藤雄、1985年