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かえるのうちに

旧名「志太めぐり道草録」 志太の地をよろよろと彷徨するカエルがかえるうち

なまえをかえる

去年我が家のベランダを訪れた蛙ちゃん

自分の名前が嫌だったんですよねー。なので、なんか偽名を名乗りたいとずっと思っていたのです。

frogcroaksってハンドルネームはもう10年以上使っていて愛着もありますが、人と会ったときに名乗るにはビミョウ。呼びづら過ぎる。

もっと名前らしい偽名がほしいなーと考えていて、でもしっくりくる名前がなかなか出てこなかったのですが、このたびようやく思いつきました。というか、思い当たりました。

蛙でいいじゃん。

なにしろプロフ画像とかアイコンとかことごとく蛙だしな。

というわけで、以後、高橋カエルと名乗らせていただきます。ついでにブログの名前も変えました。かえるのうちに。ここを我が家とし、ここに帰ってくるのだよ。

以下どうでもいい話。

まだ幼稚園くらいの頃から、「○○ちゃん」とか「○○っぺ」とか自分の名前を呼ばれるのが嫌だった*1。自分にふさわしい名前ではないような違和感があった。

思うに、自分の名前は自分の性質にまったく合致していなかった。いってしまうと「ユリ」なんだけど、軽く考えただけでも「女の子らしい」とか「ユリの花」とかのイメージがパッと思い付くでしょう。自分は昔からがさつで無神経で、外見・中身とも女性らしさとか花のような優美さなどとは縁遠い人間だった。

もっというと、誰かから「もっと女の子らしくしなさい」とか言われても、なぜそうしなければならないのか理解できなかった。まぁそう言われがちなワンパク(婉曲表現)な子供だったのだが、そんなお子様がワンパクをやめて女の子らしくするとどんな利点があるのか、お子様本人にはまったく分からなかった。

どちらかといえば外で泥にまみれて草引っこ抜いたり虫捕まえたりしているほうが楽しい子供だった。そんな子供相手に「ユリちゃんはユリの花だからきれいでおしとやかで~」などと言っても喜びはしない。ましてや、「名前にふさわしいように女の子らしく振舞え」などと言ったら反発するに決まっているではないか。

そんなこんなで、昔は本当に自分の名前が嫌だった。大人になるにつれて気持ちの整理ができたが、自分の名前を呼ばれているのではないような違和感は今でもある。

子供の頃、周囲の大人たちがあんなにも名前の意味を強調しなかったら、いたずらに名前の意味と本人の性質を結び付けることをしなかったら、ここまで気持ちがこじれることはなかったのではないか。あの大人たちは何を考えてあんなことをしたのだろう。

近頃、名前を呼ばれる機会が増えて、大切な人に呼んでもらったらこの名前も好きになるかしらと思ったのだが、そんなことはなかった。名前を呼んでほしいのだが、ユリという名前は私の名前ではないので、本当の名前で呼んでほしい。

とはいえ、カエルなんてふざけた名前も「本当の名前」ではないのだ。このままでは本当の名前で呼ばれることなど永遠にない。いつか自分の名前に納得できる日は来るのだろうか……。難儀なことである。

*1:そういえば今、あだ名で○○っぺとか言わないですよね。90年代ごろまでは聞いたような気がしますが。あだ名にも流行ってあるのか。

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