神社は意外と引っ越してるし住んでる神様も変わってる

地域によってだいぶ差があるだろうなーと思うので静岡県中部限定の話として聞いてほしいんだけど、神社って昔から今の場所にあったとはかぎらないし、名前が変えられてたりもするし、祀っている神様すらも昔とは違うってこともわりとありがちなんだよ。

焼津神社の正月2006

たとえば、静岡市駿河区石部の石部神社。現在は天照大神を祀るこの神社は、明治維新前には天伯社あるいは天白明神などと呼ばれていた。その祭神は、江戸時代後期の文献『駿国雑志』によれば「土神」。この土神が天照大神だったかどうかは定かではない。

また、現在は石部神社内で祀られている白髭神社猿田彦命)と山神社(大山祇命)は、昭和52年(1977年)以前はそれぞれ別の場所に祀られていた。旧地は断崖絶壁で知られる大崩海岸の山中にあり、参詣に不便なので現在地に移されたのだそうな。

この石部神社のことは以前「維新前の石部の神々、天白社と木魂社と白髭神社」にメモったので、詳しく知りたい人はそっちも読んでみてね。で、まぁこのとおり、石部神社では名前が変わったり場所が変わったり、もしかしたら神様も変わっているかもしれないわけだ。

ほかにも例を挙げてみよう。たとえば、焼津市の焼津神社は、江戸時代には入江大明神といった。近世以来の主祭神日本武尊だが、古い時代には市杵島姫命を祀っていたとする説もある。また、鎮座地も現在とは異なり、今は海中に沈んだ場所がそうだったともいう。*1

場所を変えた神社としては島田市の大井神社がいい例だ。そもそも当社が島田に祀られるようになったきっかけは、大井川の洪水に乗って上流から流されてきたからだという。その後も洪水に遭うたびに位置を変え、現在の場所に鎮座したのは元和2年(1616年)のことだそうだ。*2

ここで江戸時代の地誌、『駿河記』を見てみよう。この文献は駿河国内の各村ごとに寺と神社を列挙している。寺については、現在では廃寺になって存在しないものもあるが、存続している寺については特に今と変わりない。ところが神社のほうは、現在の神社と名前が一致しないものが多くてなかなか混乱する。これは、それだけ名前の変わった神社があるということなのだ。

なぜこんなことになっているのかといえば、明治時代の宗教政策の影響が大きい。明治初期、神道国教化にさいし発せられた神仏判然令が廃仏毀釈運動を招き、仏教寺院が大打撃を受けたことはご存知の通り。しかし神社とて無関係ではいられない。それまで混淆状態にあった神仏を分け由緒を正せというわけだから、仏や由緒不明の神を祀っていた神社では祭神を改める必要があった。

たとえば、江戸時代にはたくさんあった牛頭天王を祀る天王社は、維新後には津島神社や八坂神社と改称され祭神を素戔嗚尊と改めた。また、静岡市浅間神社にはかつて神宮司薬師社と摩利支天社という仏を祀る社があったが、神仏分離にさいし仏像は臨済寺や清水寺に移され、薬師社は少彦名神社に、摩利支天社は八千戈神社にかえられている。*3

由緒を正す過程で祭神が書き換えられてしまった例もあるという。聞いた話だが、小さな神社などは祭神不明になっていたところも多く、その由緒をはっきりさせろなどと言われたので地元の人は困ってしまった。そこで、たまたま神前に置いてあった伊勢参り土産のお札を証拠として、天照大神を祭神と決めてしまったというのだ。

そのうえに明治時代末には神社合祀令が発せられ、1町村につき1社の原則のもと、多くの小神社が統廃合の憂き目にあった。明治政府によって多くの寺が廃止に追い込まれたが、その害は神社にも及んでいたというわけだ。

神社というとなんとなーく昔々から変わらずそこにあった鎮守の森的なイメージを持つ人もいるようだが、明治時代に大改造ともいえる変化を経験していることは知っておいたほうがいい。繰り返しになるが、その当時、祭神すらも書き換えられたのだ。

なんてことは歴史を学ぶ人には常識であり、いまさら何言ってんだ的な話題でしょうが、意外と知らん人がいるっぽいので、いざという時に説明できるようにと思ってこの文章を書きました。

ところで、神社に限らず、「昔々」とか「昔から伝わる」とかの「昔」って具体的にはいつなのさ?ってのは常に意識しておかないと危険だ。よくよく聞いてみたら意外と最近だったりするのだよ。最近の若者にとっては昭和末年ですら遠い昔のことだからな!

そんなことを思った日曜日でした。