かえるのうちに

志太の地をよろよろと彷徨するカエルがかえるうち

校庭を埋め尽くした牛の思い出

うちの家族に静岡県静岡市の千代田小学校に通っていた者がいるのだが、かの家族がいうには、校庭に大量の牛がやってきて、それを写生するという行事があったそうな。

年齢的に昭和30年代半ばから昭和40年代半ばにかけてのことと推定される。校庭を埋め尽くすくらいの牛がやってきて、獣医さんがなにかやっていた。牛は白黒ではなかったとおぼえている。年に一度決まった季節にやるという感じの行事だったと思われるという。

当時の千代田小学校一帯といえば、北街道が通る学校付近には町ができていたが、その周辺には広々とした田畑が残っていた。かの家族がいうには、子供のころは家の前の田んぼで牛を使って田をすいていたし、馬も農家の人が田畑で使う長い木を運ぶのに使っているのを見たことがあるそうだ。

また、学校の近くには農協があり、彼の家族はその関係で校庭を使っていたのではないかと推測していた。牛の品評会かなにかか?とも。盛んに売り買いしているとかそういう雰囲気ではなかったらしい。

さて、はたして牛を集めてなにをやってたのかなー?

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当時の千代田小学校付近の様子。国土地理院空中写真 MCB686-C4-10 (昭和43年撮影) を元に作成。

競犂会のこと

関連するようなしないようなだが、競犂会(けいりかい・きょうりかい)という牛馬にスキを引かせる技術を競う大会があったそうな。

犂とはスキのことだ。ググったかぎりでは一般的には「けいりかい」と呼ばれたようだが、静岡県焼津市中部の田園地帯であった本中根に取材した『焼津市史民俗調査報告書第四集 本中根の民俗』(p.93)では「きょうりかい」とルビが振られている。

この『本中根の民俗』によると、本中根では昭和30年ごろまで馬耕(バコー)と呼ばれた牛馬による田起こしが行われていた。多くは黒毛和牛を用いたという。当時は牛馬耕が推奨され、村(旧志太郡大富村)をあげての競犂会も開催された。

その競犂会の様子は以下のサイトで見ることができる。これは昭和32年に行われた岩手県大会の様子とのこと。優勝者が女性だったことが伝えられている。

牛の博物館のホームページ > 牛のはくぶつかんニュースレター No.41 「犂をひかせる技術を競う」

福岡県立図書館の調査によると日本最後の競犂会は昭和55年に行われたという。焼津市本中根では昭和30年からトラクターの導入が始まり(『本中根の民俗』p.103)、以降は牛馬を見ることは減ったようだ。静岡市でも似たような状況だったのではないか。

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