曲金の狐ヶ崎の曲金観音堂

静岡市駿河区曲金1丁目の、旧東海道と曲金小鹿線の追分に、観音様を祀るお堂があるんですよ。

曲金1丁目

静鉄春日町駅から国1を渡り、JR線路をくぐって、曲金1丁目に出たところ。

パン屋の豊月堂の前の通り。

豊月堂曲金店

私はソフトフランスが好きです。あと食パンとラスクとロッククッキーも買いました。おいしかったです。

豊月堂を出て左手を見ると、Y字路の真ん中に赤い幟がたくさん立っているのが目につきます。

赤い幟

曲金観音堂境内

これが曲金観音堂

赤い幟と赤いサザンカに囲まれた小さな境内。お堂に掲げられた提灯と敷地の角の郵便ポストも赤い。

曲金観音堂

砂利を敷いた上にベンチや石灯籠を置き、しっかりした扁額と仏具と仏花とをそなえ、小さいながらも立派!という印象。

そして、お堂のなかには十一面観音立像がおわす。らしいのですが、堂内真っ暗につき、我が弱りし目玉にはなにも映らず。

縁日とか御開帳の機会はあるかしら。

境内に観音堂の由来が記された看板が立っています。が、観音堂の説明としてはいまいち要領を得ず、縁日の情報もなく。

曲金観音堂由来

ただ、このへんの地名は狐ヶ崎といい、梶原景時ゆかりの地であることを詳しく説明してくれています。

梶原景時は、鎌倉幕府初代、二代に仕えた御家人。二代将軍頼家のとき、景時は失脚し鎌倉追放となったので、一族を引き連れて上洛することにした。その道中、駿河国清見関にて、幕府より追討の命を受けた吉川友兼らと会敵。狐ヶ崎にて合戦となる。

梶原山、梶原景時終焉の地

清水区瀬名の梶原山は、この合戦に敗北した景時らが自害を遂げた地と伝わる。ここに梶原氏は滅亡した。

梶原氏最期の合戦場、狐ヶ崎。その該当地については、曲金のほか、梶原山麓の梶原堂にて景時らを祀る清水区大内 *1、同じく梶原山に近い葵区川合など *2、諸説ある。*3

観音堂の由来によれば、曲金の狐ヶ崎には、合戦川という、いかにも合戦場跡らしい名前の川があるという。ただし、かっせんがわではなく、かっさがわ。他に、町内には梶原景時ゆかりの馬頭観音もあるという。

そして、この曲金観音堂

ここにこれらの古戦場に散った戦死者の諸霊供養と長年に亘る有縁無縁の不成仏霊に対する慰霊供養と併せて町内平和祈願諸厄救済広くは一般衆生済度の為古戦場跡にふさわしい御本尊十一面観世音菩薩を勧請し奉り観音堂を建立諸願達成を祈願するものであります

合戦場跡の供養のため建てたという。いつ、どなたが?鎌倉時代というほどの古さは明らかになく、看板の日付は昭和63年4月。インターネッツググると、観音様は平成元年に建立されたという話が見つかります *4。そうすると、観音様に先立って看板が建てられたということでしょうか。

昭和の末から平成元年にかけて、ちょうど前回の改元のころ、なにをきっかけに観音様建立の機運が高まったのでしょう。ともかく、この地は狐ヶ崎合戦という歴史的な出来事の舞台なのだという、そこに強い思いがあることは伝わってきます。

それはそれとして、狐ヶ崎。

当地曲金一丁目は古来谷津山山系の南端に当り狐ヶ崎と称し旧東海道の往還として栄へた

曲金周辺地図、OpenStreetMapをもとに作成、CC-BY-SA

旧東海道は、府中宿から東へ向かうと、横田町から国1春日町1丁目交差点を渡り、JR線路をくぐって曲金へ至り、豊月堂前から観音堂裏手へ、県職員住宅南側を通り、柚木の地下道付近でJR線路北側へと抜けていました。

この前の「江南信國が撮影した静岡の茶畑はどこにあったのか」、この茶畑の推定地とした谷津山の現在は消失した尾根、この麓を東海道が通っていたのですね。曲金県職員住宅北側のJR線路沿いにある盛り上がった土地(地図上緑色)、これは尾根の残存部でしょうか?*5

合戦川、かっさがわ、は、どこでしょう。豊月堂の裏手、盛り上がりの南側の区画内を通る小さな川がそうでしょうか?これは音羽町発電所付近を流れていたという「ドン川 *6」ではないかとも思うが、同じ川でもところが違うと呼び名も違うなんてよくあることだし、どうでしょう。*7

そして、曲金のもう一つの梶原景時ゆかりの地、馬頭観音というのは、曲金観音堂から東方向、西豊田小学校と法蔵寺のあいだの細い道沿いにあるようです。南幹線(県道407号)の「曹洞宗法蔵禅寺」て看板が出てる交差点から、看板の矢印の方向に進む。

余談ですけど、このお寺の看板の角、前は本屋の谷島屋があったような。ありました(ストビューで確認)。最近、気づいたら、リサイクルショップになっていました。ここ、もっと昔は、CD扱ってる店ではなかったですか?この建物にCD買いに来たおぼえがあるのです。

馬頭観音の道をさらに奥へ進めば、軍人坊こと軍神社。花火で有名という情報とともにその名をおぼえているが、見たことはない。この近くに住む人によると今でも花火はやっているそうです。そのうち拝みに参りましょう。それと、いつかは観音様も肉眼で拝みたいものです。

*1:若林淳之『静岡県の歴史』山川出版社、1970年

*2:中世 | 静岡市の歴史のながれ | 歴史文化のまち静岡さきがけミュージアム

*3:古い時代には、『駿国雑志』は大内説、『駿河国新風土記』と『駿河志料』は曲金説を紹介している。

*4:ジモテン|とびっきり!しずおか|番組|静岡あさひテレビ(2016年2月22日放送「静岡市駿河区の人気エリア 曲金」)

*5:前出『駿河国新風土記』によれば、この尾根の上に狐ヶ崎の六本松という6株の松があり、その下にエカン堂または野干堂と呼ばれる尼の住む小庵があると。野干即ち狐ということで、狐ヶ崎の地名との関係が示唆されている。

*6:「備忘録に代えて:駿府公園で見かけた銅像・記念碑」コメント欄「Posted by あっくんじいちゃん at 2011年08月14日 15:07」参照のこと。

*7:かっさ川については、『駿河国新風土記有渡郡曲金の筋違橋の項で言及される「カツサ川」と同じ川かと思われる。